奈落の底への伝言4/9の2
2012-04-09


奈落の底への伝言64・・顔

言葉遣いや顔かたちは、生まれつきで、努力しても変えることができないので論議しても無駄であると言う人がいる。うーむ、酒飲みのような癖すら直せないと論じたこともあって、一理あることだ。・・この“一理あるとか、もっともなことだが”といった言葉は相手に理解を示すかに見えるが、必ず、その後に否定文が来るという、カウンター(打ちにこさせる隙を見せておいて、油断したところを不意打ちにするようなもの)である。・・ほらね。

顔つきが直せないとは正しそうであるが、人の発達成長の理屈を考えれば、正しくない。心の働きを考えてみれば、これが顔にも及ぼさないことは無い。それは体を鍛えて筋力を上げれば、体つきが変化することと変わらないからだ。言葉遣いも、顔つきも心身の働きであるので、放置しておいて良くなることは無いのは当然である。・・・学問のすすめ第17編

この話は、江戸時代に儒学をはき違えた者(封建制度を創り出した者)によって、いつも表情を変化させないもの(愛想を作る者(巧言令色)は狡猾であるという儒教思想)を批判しているのであるが、思考している姿というか、その人に合致した努力の姿こそが美しいのである。浅田真央で言えば、スケートに向かっている時が最も優れているということで、その努力時間が長ければ、顔つきも体つきも、頂点に向かって進むということなのだ。なるほど、チャイコフスキーなど相当にいい顔になったわけだ。

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