梅林公園に行こう
2015-01-25


梅林公園に行こう

谷尾崎梅林公園 梅まつり

 踊りと言えば、それは迎平地区の「ひょっとこ愛笑会」のひょっとこ踊りである。
善兵さんは、どうも、あの元公民館長さんに似た人であった。髪があるので、禿カツラが似合う。羨ましいことである。とにかくタン・タン・タヌキ踊りも、ひょっとこ踊りもこなせたというから、達人の域に達していた。その秘訣などは後で分かろう。

 さて、  どのような英雄でも、ただ英雄なだけではダメである。神さんが万能の人で、何事もたやすく自在にできたでは、話はスグ終わる。これでは子どもが寝つく前に終わるし、神さんで無い人はあきらめろ、であるから人間どもが何もせんようになる。
 神さんは、人に生まれ変わって自然の法則の内で創造するべきなのだ。これでこそ、人々の手本なるのであるが、イエスのように、つい、はずみで十字架まで行かせた・・・主役消えた・・エーイ復活だあぁ って、したように思う。
 おい、おい、自然法則はどうなったのだ。何? 乙女が生んだ子で元々が奇跡だったのか。で、復活後に信者には会ったが、ローマ皇帝とは会わなかったか。そうして、神は、ここに見よ、あそこに見よと言うようには現れんとか言って、何か、言い含めらるなあ。
 谷尾崎梅林公園と親戚の太宰府の菅原さんなどのように夢枕に立ったり、雷でも落とせば良かったのだ。簡単に神社ができとる。だもんで、聖書もお経もA4一枚で脱稿とかになってイナイ。聖書など非常に薄い紙に両面印刷してあってコンサイス辞典だ。
 あれでは英語に懲りた方は読まん。仏典の巻物などは習字の苦手な方は読まん。トラウマなのだ。PTSD心的外傷後ストレス障害なのだ。ワシは聖典を読むので医者を、医者を、呼べ。紙質がイヤで失神したらどうすのだ。凡人には読めん仕組みだ。医者を、医者を呼んでぇ読む書物だったのだ。罠だったのだ。
 とか言っていたので善兵さんも、となりの爺さんも悟りには至ってなかった。まあ、双方共に達人ではあったのだが。

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